未来
地球が保有する資源の量は有限なものです。化石燃料である石油の埋蔵量は1970年当時ではあと31年分と推測されていました。しかし、実際には世界の石油消費量は年々増加しており、今現在においても枯渇していません。ですが石油は無尽蔵にあるわけではなく、確実に石油なき時代に突入していくことが予想されています。現在のガソリン自動車がかつてのSL蒸気機関車のように次々と姿を消していき、ガソリン・スタンドが衣替えをして別の役割の店に生まれ変り、石油コンビナートとその製品が地域と市場がら去っていく時代が遠く無い未来に確実に来るというこを我々は覚悟しておかなければなりません。間題は石油に限られるものではなく、銅、鉛、錫、アルミニウムなどの金属はいずれも現在のような大量消費を続ける限り数十年分しかないのです。食糧についても同様で、人口がこれ以上増え、さらに生活水準の向上により蓄産物をより多く食べるようになれば、これら穀物を動物の餌にさらに多く回さなければならなくなるために、食糧危機が深刻化することは確実に予想されます。こうした資源不足、食糧不足がなぜ生じたか。言うまでもなく、その原因は第一に人口の爆発的な増加、第二に技術進歩と生活水準の上昇に伴う一人当りまエネルギー消費量、物質消費量の増大であり、第三に資源多消費型の生活様式、生産様式です。例えば、現在人口約3億人のアメリカは世界の石油消費量の25%を年々消費しています。重科学工業の発達、自動車の普及、テレビ、冷蔵庫、冷暖房などの家庭用耐久消費財の普及など、産業文明の発達と、それらがもたらす豊かさの増大が、このような資源多消費型の経済社会を生みだしたのでした。産業文明はこのような従来の成長パターンをこのまま将来に持続していくことができるのできるか、あるいはそれは果たして人間にとり真に望ましいことなのか、こうした間題意識が産業文明の将来にかかわる未来間題の中心的課題として登場してきたのでした。人ロの増加は地球の持つ食糧供絡能力の眼界、スペースの限界に抵触し始めており、お金や経済成長と生活水準の上昇は資源の限界を越え始めています。我々は人口と経済の成長を抑制し、資源多消費型、生産、消費構造を省資源型のものに転換していかなければなりません。省資源を必要とする今ひとつの埋由は、廃棄物の増大による環境汚染の問題があります。従来のような、資源多消費型の産業文明のパターンを踏襲していく限り、そこに発生する大量の産業廃棄物、生活廃棄物がもたらす環境破壊を十分に避けることを不可能にします。環境の質の改善という点からみても、我々は従来の大量生産、大量消費の仕組みを変えて、資源節約型の社会に切り換えていがなければなりません。家計にとっても重要な節電、節水運動、過剰包装の自粛、モデルチェンジの自粛、大型廃棄物の回収などという形で始まった資源節約運動は、こうした方向への産業文明の長期的転換の開始であるべきであって、決して一時的なものであってはなりません。重要なことは、こうした資源節約型社会への移行が、単なる物質的な節約の間題にとどまらず、豊かな生活のあり方に根本的な転換をもたらすであろうという点です。つまり、これまでの使い捨て的な豊かさ、欲望の過度の刺激の中で続けられた繁栄が、より深く、豊かな精神的、文化的内実をともなった、ゆとりのある生活に転換していくこととなるであろうということです。この豊かさの質の転換は、物質的な豊かさから精神的な豊かさへ、量の童豊かさから質の豊かさへ、フローの豊かさからストックの豊かさへ、都会暮らしから田舎暮らしへの転換を伴って進んでいくこととなると思われます。このように、いま産業文明は地球の限界に直面しながら、根本的な発想の転換期を迎えているのです。人口問題、資源問題、環境問題を同時的に解決しながら、高度に豊かで文化的な社会を創造していくためにはこれまでの大量生産、大量消費の使い捨て文明からの脱却が必要とされます。我々は量の豊かさを越えたところに、質の高い豊かさを持った社会のデザインを試みていかなければならず、そのことは一方で資源の節約をしながら、他方で文化的に質の高い、良い品物、高級品を大切に使う生活様式への切り換えを意味します。こうした条件を基盤として、豊かな文化が開花し、人間関係に思いやり、愛情、喜びと感謝の気持などが復活してくるとすれば、それは真の意味での人間革命、論理革命につながっていくことになります。

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